2020年08月19日

夏の吉野山を散策する!(その5:吉野山散策と青の交響曲)

こんばんは!(^o^)
今日は当シリーズの最終回です。前回までは吉水神社と勝手神社を取り上げてきました。

今回は吉水神社から吉野山を歩き、そして青の交響曲(シンフォニー)で大阪市内へ戻ります。
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吉野山の街並み。
旅館や飲食店・土産物店が並びます。

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吉野山といえば薬でも有名で、陀羅尼助丸が胃腸薬として親しまれています。
まさしくこの写真は陀羅尼助丸の販売元「藤井利三郎薬房」です。


途中、美味しそうな葛切り屋があったので、ふらっと立ち寄りました。
お店の名前は「芳魂庵」、屋外席で吉野で最初に葛切りを出した名店の「くずきり」を冷やし抹茶と一緒にいただきます。
なんでも注文ごとに作るようで、舌触りはツルツル、素朴な味わいの黒蜜と合わせれば清涼感が体中を駆け巡る美味しさです(*´ω`*)

再度、金峯山寺の境内を通り抜けるルートで戻っていきます。
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金峯山寺の仁王門へ向かう石段から見た街並み。
歴史の重みと桜の時期の賑わいが目に浮かびます。

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坂道を下って・・・・・

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黒門。
吉野山の「門」で、いかなる大名も馬から降りて歩く位に神聖な場所でした。

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吉野ロープウェイの吉野山駅。

ここから近鉄吉野駅へ向かいます。
その前に近くのお店で鮎の炭火焼きを購入し、熱心にかぶり付きました(*´ω`*)
野性味溢れる味わいで美味しいです(^o^)
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それでは吉野駅へ戻ります!
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2020年08月18日

夏の吉野山を散策する!(その4:南朝皇居・吉水神社)

こんばんは!(*´ω`*)
前回までは金峯山寺を歩いてきましたが、今回は南朝皇居の吉水神社です。

この神社は元々「吉水院」という寺院でしたが、明治維新の神仏分離令で「後醍醐天皇社」→「吉水神社」になりました。
主祭神は後醍醐天皇、楠木正成、吉水院宗信法印。後醍醐天皇はこの地で崩御されたと伝わります。
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「吉水神社」の石碑。

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石鳥居。

タイトルに「南朝皇居」と書きましたが、吉水院に後醍醐天皇の行宮を設けたことが由来です。
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少しアップダウンがある参道ですが、それだけ清々しい緑が待っています。

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門。
かつては寺院だけあって、その仏教的な雰囲気が漂います。

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春になると、この一面が桜で彩られます(*´ω`*)
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桜の季節の風景の写真。

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本殿。
こちらに主祭神がお祀りされています。

ここ吉水神社の参拝の作法は通常の「二礼二拍手一礼」ではなく「二礼十七拍手一礼」で行います。
(大分の宇佐神宮も二礼四拍手一礼でしたね。)
これは天地開闢にまつわる神様を呼ぶためなんだそうです。つまり17の神様を呼ぶために17回叩いてお招きするわけですね。

それでは書院庭園へとお邪魔します。
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先程参拝した金峯山寺の蔵王堂が見えます。

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北閥門と庭園。
ここで作法に従って邪気を払います。

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書院からみた庭園。
鹿威しがまるで龍のように見えます(^o^)

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書院の内部。
今回は撮影していませんが、後醍醐天皇の玉座もあり、なんとも神々しさを感じました。

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書院の縁側。
この辺りはこころなしが涼しいように感じられました。

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書院を別角度から。
書院造としては初期のもので、非常に貴重な存在です。
(世界文化遺産の一つでもあります。)

こちらの御朱印は吉水神社と勝手神社のセットで頂きました。
恐らく宮司さん自らの直筆のようで、非常に美しい御朱印だと思います(*^_^*)

ここで勝手神社と出てきましたが、実は2001年(平成13年)に焼失して以来、未だに再建が出来ていない状況です・・・・・
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鳥居。

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その境内。

勝手神社はかつて源義経公の妻・静御前が追っ手に捕らわれた時、舞を振る舞った故事で知られています。
社殿も立派なものがあったそうですが、今はただ夏草が生え、再建の時を待っているかのようです・・・・・

さて吉水神社の話に戻します。
後醍醐天皇が北朝を打ち破り、京都を取り戻す夢は遂には叶いませんでした。
しかしその思いは次の天皇にも引き継がれ、最終的に後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡すことで南北朝合一が実現。
1911年(明治44年)に南朝が正統とされ今に至ります。
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門から本殿・書院を望む。

次回はいよいよ最終回、吉野山を歩き、最後は青の交響曲(シンフォニー)で締めます。
ラベル:吉水神社 吉野山
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2020年08月17日

夏の吉野山を散策する!(その3:修験道本山・金峯山寺)

こんばんは!(*´ω`*)
前回は金峯山寺の仁王門から境内へ至るところで終わりました。

今回はその続き、蔵王堂や観音堂などがある所を見て回ります。
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石段を登りきる前。
この日は気温30度を優に上回る、熱中症寸前になりそうな暑さでした(´;ω;`)

日本特有の山岳信仰と神道や仏教・道教などが組み合わさった独特の宗教として「修験道」が成り立ちました。
その、修験道を創始したとされる役行者が7世紀後半に創建したと伝えられています。
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威徳天満宮。
同じ吉野山の如意輪寺を創建した日蔵が建てたとされる神社です。
現在の本殿は豊臣秀頼公による改修で、実に壮麗であります。

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観音堂と愛染堂。

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南朝妙法殿。
1958年(昭和33年)に世界大戦の犠牲者と南朝四帝の尊霊をお祀りする建物として建てられました。

金峯山寺は7世紀後半に創建されて以来、山下の蔵王堂(現在の金峯山寺)と山上の蔵王堂(現在の大峯山寺)を合わせて「金峯山寺」として呼ばれ、信仰を集めてきました。

しかしながら、明治維新で神仏分離令、追い打ちをかけるように修験道廃止令が出され、1874年(明治7年)に廃寺へまで追い込まれてしまいます・・・・・
その後、関係者の努力によって1886年(明治19年)に天台宗修験派として再興し、戦後に独立。現在の金峯山修験本宗になり今日に至っています。
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本堂にあたるのが「蔵王堂」。
なぜこの名前かというと、御本尊として蔵王権現をお祀りしているからです。
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現在の蔵王堂は1592年(天正20年)に再建されました。
室町末期の建築様式を色濃く残し、非常に高い天井の開放感といい、周りを囲む廊下には仏像や宝物が並べられており、実に息を呑みます。

残念ながら内部は撮影禁止・・・・・
やはり寺院建築の内部は心のフィルム、今風の言い方で言えば心のフラッシュメモリーにでも収めておくとしましょう。
(心のフィルムという言葉は長崎の大浦天主堂で見かけます。)
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蔵王堂と大塔宮御陣地。

さて、何故「吉野=桜」となったのかというと、まさしくこの寺と深い関係があります。
役行者が修行のさなか、蔵王権現と出会い、その事を桜の木に刻んで山上ヶ岳と吉野山にお祀りした事が始まりです。
時代はくだり、その故事から本尊を刻んだ桜の木こそが御神木に相応しいとされ、その事から御神木の献木という行為によって桜が植え続けられ、今の風景に至っています。

一時は明治維新で神仏分離令・修験道廃止令、そして第二次世界大戦によって、吉野の桜も衰退しました。。。
(戦争はホントに良くない・・・・・)
吉野山保勝会や関係者の懸命な努力によって、現在は再びかつてのような風景を取り戻しています。
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上千本方面からの入り口。

非常に素晴らしい御朱印も頂き、次の目的地である吉水神社へ向かいます。
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東南院の多宝塔。
こちらも役行者が創建したと伝えられています。

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東南院の門。

次回は吉水神社を取り上げていきます。
ラベル:金峯山寺 吉野山
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