2020年08月17日

夏の吉野山を散策する!(その3:修験道本山・金峯山寺)

こんばんは!(*´ω`*)
前回は金峯山寺の仁王門から境内へ至るところで終わりました。

今回はその続き、蔵王堂や観音堂などがある所を見て回ります。
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石段を登りきる前。
この日は気温30度を優に上回る、熱中症寸前になりそうな暑さでした(´;ω;`)

日本特有の山岳信仰と神道や仏教・道教などが組み合わさった独特の宗教として「修験道」が成り立ちました。
その、修験道を創始したとされる役行者が7世紀後半に創建したと伝えられています。
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威徳天満宮。
同じ吉野山の如意輪寺を創建した日蔵が建てたとされる神社です。
現在の本殿は豊臣秀頼公による改修で、実に壮麗であります。

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観音堂と愛染堂。

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南朝妙法殿。
1958年(昭和33年)に世界大戦の犠牲者と南朝四帝の尊霊をお祀りする建物として建てられました。

金峯山寺は7世紀後半に創建されて以来、山下の蔵王堂(現在の金峯山寺)と山上の蔵王堂(現在の大峯山寺)を合わせて「金峯山寺」として呼ばれ、信仰を集めてきました。

しかしながら、明治維新で神仏分離令、追い打ちをかけるように修験道廃止令が出され、1874年(明治7年)に廃寺へまで追い込まれてしまいます・・・・・
その後、関係者の努力によって1886年(明治19年)に天台宗修験派として再興し、戦後に独立。現在の金峯山修験本宗になり今日に至っています。
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本堂にあたるのが「蔵王堂」。
なぜこの名前かというと、御本尊として蔵王権現をお祀りしているからです。
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現在の蔵王堂は1592年(天正20年)に再建されました。
室町末期の建築様式を色濃く残し、非常に高い天井の開放感といい、周りを囲む廊下には仏像や宝物が並べられており、実に息を呑みます。

残念ながら内部は撮影禁止・・・・・
やはり寺院建築の内部は心のフィルム、今風の言い方で言えば心のフラッシュメモリーにでも収めておくとしましょう。
(心のフィルムという言葉は長崎の大浦天主堂で見かけます。)
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蔵王堂と大塔宮御陣地。

さて、何故「吉野=桜」となったのかというと、まさしくこの寺と深い関係があります。
役行者が修行のさなか、蔵王権現と出会い、その事を桜の木に刻んで山上ヶ岳と吉野山にお祀りした事が始まりです。
時代はくだり、その故事から本尊を刻んだ桜の木こそが御神木に相応しいとされ、その事から御神木の献木という行為によって桜が植え続けられ、今の風景に至っています。

一時は明治維新で神仏分離令・修験道廃止令、そして第二次世界大戦によって、吉野の桜も衰退しました。。。
(戦争はホントに良くない・・・・・)
吉野山保勝会や関係者の懸命な努力によって、現在は再びかつてのような風景を取り戻しています。
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上千本方面からの入り口。

非常に素晴らしい御朱印も頂き、次の目的地である吉水神社へ向かいます。
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東南院の多宝塔。
こちらも役行者が創建したと伝えられています。

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東南院の門。

次回は吉水神社を取り上げていきます。
ラベル:金峯山寺 吉野山
posted by 大阪のしろきち at 00:00| 大阪 ☀| Comment(0) | 街あるき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする