前回までは金峯山寺を歩いてきましたが、今回は南朝皇居の吉水神社です。
この神社は元々「吉水院」という寺院でしたが、明治維新の神仏分離令で「後醍醐天皇社」→「吉水神社」になりました。
主祭神は後醍醐天皇、楠木正成、吉水院宗信法印。後醍醐天皇はこの地で崩御されたと伝わります。
「吉水神社」の石碑。
石鳥居。
タイトルに「南朝皇居」と書きましたが、吉水院に後醍醐天皇の行宮を設けたことが由来です。
少しアップダウンがある参道ですが、それだけ清々しい緑が待っています。
門。
かつては寺院だけあって、その仏教的な雰囲気が漂います。
春になると、この一面が桜で彩られます(*´ω`*)
桜の季節の風景の写真。
本殿。
こちらに主祭神がお祀りされています。
ここ吉水神社の参拝の作法は通常の「二礼二拍手一礼」ではなく「二礼十七拍手一礼」で行います。
(大分の宇佐神宮も二礼四拍手一礼でしたね。)
これは天地開闢にまつわる神様を呼ぶためなんだそうです。つまり17の神様を呼ぶために17回叩いてお招きするわけですね。
それでは書院庭園へとお邪魔します。
先程参拝した金峯山寺の蔵王堂が見えます。
北閥門と庭園。
ここで作法に従って邪気を払います。
書院からみた庭園。
鹿威しがまるで龍のように見えます(^o^)
書院の内部。
今回は撮影していませんが、後醍醐天皇の玉座もあり、なんとも神々しさを感じました。
書院の縁側。
この辺りはこころなしが涼しいように感じられました。
書院を別角度から。
書院造としては初期のもので、非常に貴重な存在です。
(世界文化遺産の一つでもあります。)
こちらの御朱印は吉水神社と勝手神社のセットで頂きました。
恐らく宮司さん自らの直筆のようで、非常に美しい御朱印だと思います(*^_^*)
ここで勝手神社と出てきましたが、実は2001年(平成13年)に焼失して以来、未だに再建が出来ていない状況です・・・・・
鳥居。
その境内。
勝手神社はかつて源義経公の妻・静御前が追っ手に捕らわれた時、舞を振る舞った故事で知られています。
社殿も立派なものがあったそうですが、今はただ夏草が生え、再建の時を待っているかのようです・・・・・
さて吉水神社の話に戻します。
後醍醐天皇が北朝を打ち破り、京都を取り戻す夢は遂には叶いませんでした。
しかしその思いは次の天皇にも引き継がれ、最終的に後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡すことで南北朝合一が実現。
1911年(明治44年)に南朝が正統とされ今に至ります。
門から本殿・書院を望む。
次回はいよいよ最終回、吉野山を歩き、最後は青の交響曲(シンフォニー)で締めます。