2013年03月28日

鹿児島日帰り旅行記 特攻平和観音と知覧特攻平和会館編

(※この記事は「鹿児島日帰り旅行記! 鹿児島空港到着!〜知覧到着編」の続きです)
こんばんわ。
前回までの記事で、関空〜(飛行機)〜鹿児島空港〜(リムジンバス)〜鹿児島中央駅〜(指宿枕崎線)〜平川駅〜(鹿児島交通バス)〜特攻観音入口という感じに辿り、「特攻観音入口」の停留所を降りた所で一旦区切りました。
今回はその続きを書いて行きたいと思います。

桜並木を眺めつつ「特攻平和観音」へと向かいました・・・・・

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↑若干散りかけでしたが、むしろこれくらいの方が良いような気がします・・・・・

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↑本当に美しい・・・・・

そして、第一の目的地である「特攻平和観音」に到着・・・・・

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↑立派な建物です・・・・・(※特攻平和会館を出た後に撮影しました)

そこで線香を上げて、手を合わした後に、次の目的地である「知覧特攻平和会館」へと向かいました。

残念ながら「知覧特攻平和会館」の館内は撮影禁止・・・・・
なので、ここからは「思ったこと」をザッと書きます。

DSCF7666.JPG
↑「知覧特攻平和会館」の外観。

入口で入館料500円を支払い、館内へ・・・・・

館内には特攻隊員の遺書や遺品が多数展示されており、中には私よりも年下(17歳や18歳)で特攻隊員となり大海原に散っていった人の遺書も展示されておりました・・・・・

遺書の内容は人によって様々でしたが、「育ててくれた親に対する感謝を述べたもの」や「愛する家族の事を思ったもの」が多かったように思えます。

その後、視聴覚室にて語り部によるお話を聞くことにしました。
語り部さんによると、偶然にも私が(知覧を)訪れた日が「特攻作戦の初日」だったらしく、何かの縁を感じずには居られませんでした・・・・・

語り部さんによる話を聞いた後も、しばらくは館内を見て回っていました・・・・・
隊員の遺書や遺品を見る度、溢れだす涙を禁じ得る事は出来ませんでした・・・・・

しかしながら、どの遺書を見ても「死への恐怖」を感じるどころか、寧ろ「達観」していた様に思えました。

しかし本当のところは、死ぬことに対しての恐怖が有ったのかもしれません・・・・・
やはり、もっと生きたかったのではないでしょうか?

それでも「自らの命と引き換えに敵の艦船を攻撃することによって、自分が守るべき国や、愛すべき家族・両親・友人を助けることが出来るのなら・・・・」と思い、微笑みながら沖縄方面へと飛び立ったのだと思います。

そして、敵の艦船に体当たりし、大海原へと散った後も、草葉の陰から「家族」・「両親」・「友人」、そして戦争が終わって平和になった「日本」を見守ってくれているに違いありません・・・・・

しかし、幾ら日本が平和になったとは言えども、世界中を見渡せば戦争や紛争はまだまだ起きています。
日本の周辺諸国の情勢も怪しさを増しており、いつイザコザが起きるかは想像出来ません・・・・・

私としては出来るだけ戦争は避けるべきだと考えています。でももし、相手が仕掛けてきたら戦争をせざる得ません。

彼らが自らの命を懸けてまで守り抜きたかった国。(もし相手が攻めてきたら)今度は私達が守り抜かなければなりません。

その為にはどうすれば良いか・・・・・
そこは、これからしっかりと考えていくべきだと思います。

最後になりましたが、あくまでも特攻隊を美化するつもりはありません。
でも、彼らはただ純粋に愛すべき「家族」・「両親」・「友人」、そして「日本」を守り抜きたかった。
それが恐らく、彼らが特攻隊を志願した理由なのではないでしょうか・・・・・

その事を胸に刻みつつ、私は「特攻平和会館」を後にしました。
まだ訪れていない皆さんも、絶対に一度は訪れてみてください。
色々と考えさせられます・・・・・
そして、特攻平和会館を出た後「三角兵舎」も見学しました。

DSCF7672.JPG
↑空襲を避けるためか半地下式になっています。

DSCF7674.JPG
↑出撃までの日々をここで過ごしていたようです・・・・・

最後に「特攻平和観音」でまた手を合わせたあと、食事を取ることにしました。

では今日はこの辺で失礼します。

(「知覧での昼食&氷白熊を喰らう!編」に続く)
posted by 大阪のしろきち at 22:17| 大阪 ☔| Comment(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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