2014年04月05日

花咲く!仙台旅(パート5)荒浜へ・・・・・

前回は仙台市内のバスを簡単に見て行きましたが、今回は東日本大震災の被災地を訪れます。

※今回は被災者の皆様の心情に配慮し、読みたい方のみ読める形にしました。2011年3月11日14時46分、日本の歴史上において忘れられない瞬間になりました。
そして、その数十分後に東北地方の沿岸を戦後最悪の津波が押し寄せました・・・・・

その時に(初日に降り立った)仙台空港も大きな被害を受け、暫くは運用が出来ない状態に陥ったのは記憶に新しいと思います。

そして、石巻の大川小学校では全校児童の大半が津波に飲み込まれて命を落とすなどの悲劇もありました。一方で釜石では小中学生のほとんどが生き残ったり、松島に至っては津波による被害がかなり少なかったという事もまた事実です。

今回は仙台市内にある被災地ということで「荒浜」を訪れることにしました。
交通局大学病院前停留所からバスに揺られること約1時間。
本来なら「深沼」行きですが、津波によって周辺の集落が全滅したため「南長沼」行きになっていました。

途中まではそこそこ乗客が居たのですが、終点に近づくに連れてどんどん減っていき、最終的には私一人「南長沼」のバス停を降りることになりました。

かつてはこの辺りに住宅があったようですが、それらは津波によって流されてしまいました・・・・・

arahama_2.jpg
↑Google Earthより転載しました。これが震災前の荒浜です。住宅と田園地帯が広がっていたのが分かります。

arahama_1.jpg
↑上の画像と同じく。これが震災後です。津波によって半分以上の建物が消え、集落は壊滅状態に陥りました。

この日は風が非常に強く若干歩きづらかったのですが、とにかく慰霊碑に向けて歩き始めました。
かつて集落であった場所を歩いて行くと、慰霊碑が目に入りました。

残念ながら慰霊碑の写真は撮ってきていないのですが、太平洋を背後に中央に観音像、左側に慰霊碑、そして右側に津波による犠牲者の名前が刻まれた石碑が置いてありました。

強風の中、私は両方に静かに手を合わせることにしました・・・・・
とにかくこの日は風が強く、立っているのも大変でしたがそこは必死にこらえて手を合わせ続けました。
今回の仙台旅行の目的の一つは「慰霊碑訪問」でした。

高校時代、先輩から東北地方の話を聞かされて、ずっとずっと行きたかったのです。

それが今回ようやく叶ったのです・・・・・

その数年間分の思いを込めて手を合わせました・・・・・

もしかすると驕り高ぶっているような言い方かもしれません。

しかし、亡くなられた方々が少しでも安らげるようにと心を込めて、手を合わせることにしたのです。

手を合わせた後、石碑の名簿を見つめると、まだ小学生にもなっていない子供達も津波によって命を落としていることに気付きました。

あまり文章が上手くないので、どう言い表していいのかが分かりませんが、「まだ生きたかっただろうに・・・・・」という思いが胸を駆け巡りました。

今文章を書いている途中、「津波に飲まれる瞬間、寒くて寒くて仕方がなかっただろう・・・・・」という思いもまた胸を駆け巡っているのです・・・・・
2011年の3月11日は雪が降る程の寒い日でもありました。

恐らく、冷たい海水に飲み込まれて、もがき苦しみながら命を落としていったのでしょう・・・・・

そういう犠牲者の方々を思うと大きくて深い悲しみを感じられずには居られません。

もし、私の家族の誰か一人でも津波で命を落としていたとすれば・・・・・と考えれば決してあり得ないことでも無いのです。

大勢の命を奪った大津波の前には、東洋一の大防波堤もその他の人工物も為す術が有りません。
ただ流されるだけです・・・・・

こうなると生き残る手段は一つ。
「とにかく高所に逃げる。何が何でも逃げる。」
それだけです・・・・・

私は去り際にもう一度、観音像から少し離れた場所で手を合わせる事にしました。
とにかく寒くて風の強い日でありました・・・・・

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↑家が流され、土台だけが残った家。あの日までは「あたりまえの日常」が営まれていたのだけは想像できます。

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↑こちらも同じく土台だけが残っています。昨日の雨のせいか、水が溜まっているが分かります。

このことは一生忘れられないでしょうし、忘れようと思っても忘れることは出来ません。
因みに荒浜は今、災害危険区域で居住禁止になっています。
将来的には大防波堤と海浜公園が作られるようです・・・・・(住民の皆さんの反対もあるようですが)

果たしてこれがベストな決断なのか・・・・・
よそ者である私には分かりません。

DSCF4169.JPG
↑かつては住宅地が広がっていたのでしょう・・・・・

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↑多くの住民の命を救った「荒浜小学校」。保存されるようです。

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↑校舎を除き、殆どの建物が流されてしまいました。。。。。

私の住んでいる近畿地方でも「東南海地震」「南海地震」などで大津波が来るのではないかと懸念されています。
やはり、日頃の防災対策(ソフト面)は重要に感じられました。

そして、同時に「命の大切さ」も知るいい機会になったのではないでしょうか。

最後に一つだけ書かせていただきます・・・・・
仙台市内の中心部は早い時期に復旧しました。
仙台空港も「半年はかかる」と言われながら、1ヶ月で仮復旧にこぎ着けました。

東北の復興は必ず成し遂げられます!
私はそう信じています・・・・・

荒浜、いや東北地方の被災地もどんな形であれ、一日も早い復興を心よりお祈りします。

DSCF4232.JPG
↑仙台市営バスのハイブリッドバス。

次回予告
・パート6 華やぐ!杜の都 前編 に続く
posted by 大阪のしろきち at 00:07| 大阪 ☁| Comment(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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