2020年10月16日

天野山金剛寺(後編・2020年10月)

こんばんは!!ヽ(=´▽`=)ノ
今日も天野山金剛寺、前回は本坊と素晴らしき庭園を取り上げましたが、今回は伽藍を取り上げていきます。
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本坊から伽藍へつながる道。
清流が流れています。

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天野山金剛寺を語る上で欠かせないのが「天野酒」の存在。
現在は河内長野の酒造メーカーである西條合資会社が作っていますが、かつてはこの寺の境内で作られていました。

江戸時代に途絶えてしまったのを、1971年(昭和46年)に同社が同寺の応援のもとで復活したのが現在の天野酒。当時の天野酒はこの清流の水で仕込まれていたのだと思うと、ちょっと飲みたくなりますね(*´∀`*)
(清流を見ると、これだけ綺麗な水なら美味しい酒が作れるだろうとつい連想してしまいました^^;)

さて本題に入ります(苦笑)
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非常に立派な楼門。
左右にはおなじみの増長天立像と持国天立像が構えています。
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楼門を伽藍側からもパシャリと。

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食堂(天野殿)。
実はこちらに南朝側の政庁が置かれていたという歴史があります。

受付で共通券と御朱印帳を渡して、伽藍を見て回ります。
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金堂。
2009年(平成21年)から2018年(平成30年)の9年に渡って修復工事が行われ、鮮やかな姿を見事に取り戻しました。
内部には御本尊の大日如来像と両脇侍像が安置されており、お経の声が途切れることなく続いています。

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多宝塔。
こちらも金堂と同時に修復工事が行われました。雰囲気としては和歌山県の根来寺に通ずるものがあります。

多宝塔と金堂の後方には3つのお堂(御影堂・五仏堂・薬師堂)が連なります。
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弘法大師像をお祀りする御影堂。
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この渡り廊下の風情が素晴らしいです!

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多宝塔と奥側に五仏堂。
五仏堂の御本尊は五智如来像。覗き穴から見る形でしたが、実に美しい像でした(*´∀`*)

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鐘楼。

今回ご紹介した天野山金剛寺の他にも、河内長野市内には
・観心寺(こちらも南朝ゆかりのお寺です)
・延命寺
・岩湧寺
・光滝寺(キャンプ場でお馴染みですね)

などの素晴らしいお寺があります(^^)

やはりバイクがあると寺社仏閣巡りもスムーズになりますね!
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2020年10月15日

天野山金剛寺(前編・2020年10月)

こんばんは!(*´∀`*)
新しいバイクが手に入り、行動範囲は更にぐっと広がった印象です。

その第一弾として今回は大阪府河内長野市の天野山金剛寺を前後編でお送りします。
因みにバイクで駐車する場合も500円必要になります(2020年10月13日現在)。

拝観料は見事な庭園のある本坊で400円、2018年(平成30年)に落慶した金堂のある伽藍で200円、共通券は500円で今回は共通券を使って本坊→伽藍という順番で拝観してきました。
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本坊の寺務所。
こちらで日頃の寺に関する業務を行っています。風情のある出で立ちがたまりません(*´∀`*)

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その前のお庭、池には鯉が何匹か悠々泳いでいます。

天野山金剛寺、創建は天平年間(西暦729年〜748年)と言われており、1300年近い歴史を誇ります。
この地で高野山を開創した弘法大師空海が修行したとも伝わり、後醍醐天皇の時代には勅願寺として重要な位置づけの寺院でもありました。

こちらの本坊、南北朝時代には南朝側の行宮が6年間置かれたという歴史があります。
行宮といえば賀名生行宮(奈良県)や吉野行宮(奈良県)が有名かと思いますが、こちらにも実は置かれていました。
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素晴らしき国宝庭園こと「天野山金剛寺本坊庭園」。
石に苔がびっしりと付き、緑が青々としていて実に美しい庭園です。

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実は南朝側の拠点でもあったのと同時に、北朝側もここに滞在していたという歴史があります。
南朝と北朝は対立関係、火花をこの至近距離で散らしていたと思うと何とも興味深いものです。

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この渡り廊下を歩けば、北朝側の上皇が滞在していたという「奥殿」です。

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奥殿の庭園。
北朝側の上皇はこの庭園を眺めながら、おそらくは思いに耽っていたことでしょうね・・・・・

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大玄関。

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持仏堂。
実のところを言えば、本坊は江戸時代に再建されたものだそうで、厳密に言えば南北朝時代のそれとは違うとは言え、雰囲気は十二分に感じられます(*^_^*)

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客殿。

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石畳のカエル。

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本坊の門。

天野山金剛寺の別名は「女人高野」。明治時代までは高野山は女人禁制でしたが、こちらは女性でも参拝できたため、そう呼ばれるようになったそうです。
さて、次回は修復が終わり鮮やかさを取り戻した、金堂と多宝塔のある伽藍を見ていきます!(^o^)
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2020年10月14日

岸和田天神宮(2020年9月)

こんばんは!(*´∀`*)
今日は大阪府岸和田市・岸和田駅前の「岸和田天神宮」を取り上げていきます。

通称は「沼の天神さん」として親しまれており、毎年実施される「岸和田だんじり祭」(浜手)では宮入が行われています。
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岸和田駅側の石鳥居。

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社務所。

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手水舎。
大阪府内の神社は大方手水舎の使用を止めているようでした。

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社殿。
1982年(昭和57年)に造営されました。

1362年(正平17年)にこの地を治めていた沼間将監氏が八坂神社の御分霊をこの地に勧請したことが始まりです。
1872年(明治4年)の神社調査で「菅原神社」とされましたが、1982年の社殿造営に併せて「岸和田天神宮」と名を改めて現在に至ります。
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本殿。
主祭神は菅原道真公と速須佐之男命がお祀りされています。

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摂社の1つ「岸和田天神戎神社」。事代主命と大國主命をお祀りしています。
神社の中の神社で「戎神社」というのは結構多い印象がありますね。

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摂社のもう1つは「為岩大神」。

この「岸和田天神宮」の天神様というのは本来、菅原道真公ではなく牛頭天王の事を指していました。
それが度重なる混乱の中でいつしか「天神=菅原道真公」になり、1982年以前の「菅原神社」という風になったようです。
泉南市の鹿島神社も実は主祭神が稲荷神社のをお祀りしているようなケースもあります。神社の名前1つにしても色々考える事は面白いですね。
posted by 大阪のしろきち at 00:00| 大阪 ☔| Comment(2) | 街あるき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする